2004/03/23(火)
02:52
苦しみのはじまり3 人生レース
最近、母親と母親の仕事関係の知り合いのことについての話になった。
なんのことはない、OOさんの子供は優秀でOO大学に入って△△会社に就職した
だとか、結婚して子供が生まれただとか、■■さんの子供はフリーターで親が嘆いている
だとかそんな類の噂話。ぼんやりと聞きながら
上手くいってそうな人生の人でも将来何が起こるかわからないし、
その子供、親が原因となる災厄だって色々あるだろうなと。
で、そういったマイナス要素をポイント化してその人の人生を点数化できたら
面白いかなと、不謹慎ながらも考えてしまった。
で、本題なのだが人生レースでマイナスポイントまみれになった自分をかろうじて
リセット=プラスマイナスゼロにまで戻せるのではないかなと思ったのが公務員試験だった。
中学校の高校入試合格者集会の時に言われた言葉がなんとなく思い出される
「第一志望に合格した皆さんに忘れないで欲しい、今浮かれてると思うけれど
気を抜けば3年後にはまた同じ状態になれる人は限られてきます。」
そう、たいていの人の最終学歴を決める時期は今ではなく、次なのだということ
暗に言っていたように思った。けれど自分は重圧から解放された気持ちであまり
真に受けずに聞き流していたのだった。
それから3年後、自分の高校から就職、専門、短大、4大、海外と分かれていった。
多くは4大進学だったが、多分中学の頃には余裕で学力が勝っていた人達が入学するところへ
進んでいくハメになった。中にはハイレベルな学校へ進む人も多少は居たが。
それなりに努力して入った高校に合格した実績を打ち消すような
大学の所へと進んだ結果に関して彼らはどう思ったのだろう?
逆に難関な大学へと進み上位高校からの入学者の驚きを誘った人は
どう思ったのだろうか?
無論、勝ち負けだけとは思わない、付加価値もあるだろうし、生活が充実すれば
主観的に楽しいと思える充足した生活を送ることがなによりだろうとは思う。
けれど、側面的に近所の噂話的なその時点での優劣判断に対して自分は気になっていたのも事実だった。
大学を卒業した後、その大学名がその後の人生に影響されるのだろうということは
認めたくないけれど、事実なんだろうなと予感していた。
それを覆す手段といえば、〜士試験、大学院の二つだと感じた。けれど
その2つのどちらも難しいだろうと判断し、大学名に判断されないところ、
更には属しているだけで安心感のある場所。まさにうってつけだった。
大学名(入試時の学力)だけではない自分を認めさせたいという思い。
小さく卑猥な自分がとても大きな壁に挑戦することを決めてしまったことは
間違いだったのかもしれない。