2004/03/24(水) 04:49
寄らば大樹の

小さい頃、幼稚園や小学校の頃特に通用門や正門にある大きな扉に
圧迫感を感じていた。気分は囚人。
どこからそんなイメージをしたのかわからないけれど、一日が終わってから
帰宅できるということにかなりの幸せを感じていたのを思い出す。
特に嫌悪するようなことなんてその後の人生に比べたら無かったはずなので
今でも不思議に思う。
小学生の頃に見た敗戦直後を題材にした劇の後になんて
その頃大変な思いをしながら生きていた子供の方が今の自分よりも自由だなんて
作文に書いていたほどだったから。
その後の中学には圧迫感、閉塞感が非常に強くなっていったけれど、
一方で遅刻や早退なんかもできたのであまり苦ではなかった。
そして浪人。
何をしてもいい自由、但し勉強をし続けるというタガ、重しという制約は存在するものの
自分で行動を決められるという解放感はすばらしかった。
が、そのうちにどこの組織にも属していない、不安定な状態、
社会から正当に評価、認識をされない孤独感の方が強く勝っていった。
2度とこんな状態は嫌だなと思いながら大学に進み、安堵しその頃の教訓を
きれいに忘却の彼方へすっ飛ばす己の阿呆さには舌を巻かざるを得ない。

2年間、、既に1年も無駄に使っていたのに更に2年間、何も進歩しない日々
自由すぎるほどの自由を非効率的に浪費し責任を転嫁する日々
公務員試験断念後、民間会社に就職し激務に追われながらも深夜、帰途につくために
駐車場まで歩いているときに安堵感を感じるのだが、一方で違う環境に未練たらたら。
恥ずかしい。

そんな自分とは対照的に会社には仕事に生きる、プライドを持ってやっている人が多く
どこでもすぐに順応できる人や一人ですぐに事業を興せそうな人がいて、
経歴、学歴など関係しない己の技術、技能、能力で生きていけそうな人たちが多かった。
この人達は多分、会社という樹にもたれなくても傘にはいっていなくても
きっと平気で平然と生活できるのだろうと思った。
一方で自分は何かに、誰かによりかかっていないと生きていけない
小さい者だなと悟ったのだった。
だからこそ、大きくて最後まで倒れないそれでいてそれほど目立つことのない
大樹を目指したのだろうと思う。

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