2004/04/29(木) 15:29
負けそうな日々
思い起こせば昔からすぐにいろいろな記憶を混同する子供だった。
謎々の本や知識本を読んではその中身を周りに披露していたのだけれど、
ある程度経ってから同じことをしようとすると「あれ?どっちが正しいんだっけ?」と
なることが多かったり、小学生の時に散々やっていた勉強の内容を中学入学当初に
軽い確認プリントでやってみたらおそろしく忘れていたりとか、
高校3年の始め頃に関ヶ原と大阪の陣がごちゃごちゃになっていて、
友達から大丈夫?と本気で心配されたりと、あまり物覚えがよくなかった。
だからマニアックな知識をずーっと覚えていてそれをネタにして笑いを取れる人だとか
には尊敬するしかないなーという感じ。
先日は「Yes
it
is.」という一文の存在を数十年ぶりに思い出した。
別段珍しいものではないのだけれど、そういう文が存在していて、使われるという
認識がすっぽりと頭の中から抜け落ちていたことがわかった。
仕事先まで家からは車で30分だった。
川をひとつ越えて工場地帯の側にある駐車場に車を止めて歩いて5分の営業所に向かう。
開始は9:30
けれど、前日からの仕事の続きがあったりとかなければ
本部や支部からのスケジュール連絡が届かないと動けなかった
なので詰所にいて仕事の始まりが10:00を過ぎることも多かった。
運ぶ場所、運ぶモノも毎日違っていた。
バンで各場所へ部品や資料を運ぶ日もあれば、積載車で自動車1台を運ぶこともあった。
市内だけで終わる日もあれば隣接する他府県へ行くこともあった。
帰りは20:00〜22:00 休日は日曜日だけ。
食事を取り、入浴し、ネットをして眠る。
日曜日は半日寝て半日は起きてぼんやりして過ごしていた。
職場の人は週一の休みを遊ぶ日にして動いていたらしいが、自分は休息に勤めるだけだった。
修理点検確認をすることもあって、そこで修理工の人とやりとり(時にはケンカ)もすることもあった。
もろに体育会系の職場だった。
すぐに辞める人も居たらしく実際自分の時も数人見かけた。
自動車業界、とくに中古車関係ではヤクザに近い人も居るらしく、
実際そういう人を目にすることもあった。
学業一切を放棄し、流れてこの世界に入ったような人も目にした。
自ずとそういう人達で性質の悪い人とはトラブルになった。
特に仕事に関してのチェックの仕方を入って日の浅い自分が低姿勢でも指摘をするということは
我慢がならないだろうし、また言葉遣いひとつひとつの揚げ足をとる店舗の人間もいた。
どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのだろう?
疲れて本社に戻って事態の説明、そして社内でも上からの叱咤を受ける。
勉強しなかった罰だな。
努力しなかった罰だな。
帰りの車内でそう自分に言い聞かせて帰る日もあった。
疲れた体と心で毎日決まった時間に起きて仕事に行った。
夜型だった自分にそういうことができるとは思ってもみなかったので、驚いていた。
けれど、この生活がこの先も続くことを思うとやりきれない日もあった。