2004/04/25(日) 05:08
生まれかわった気持ちで

外郭団体にいたときにある一本の電話がかかってきた。
その頃その職場で中高年層向けの講座の受付けをしていたからだったのだが、
かけてきたのは若い男性だった。
今失業中でどうしてもその講座を受けたいという。
年齢条件のことを告げると、外郭団体の名前からして全年齢層を対象にしていると
思ってかけてきたらしい。
しつこく食いさがられたのだが、無理ですと丁重にお断りをしていたら
そんな年齢の人たちよりも若い人間を救う方が先じゃないか!と態度が豹変。
仕方がないので係長にパス。
で、係長何を思ったのかすごいキレ応対をした後電話をガチャ切り
思わず心の中で拍手。
だいたい、20才までのいくつかの分岐点なり節目で努力をしない方が悪いんだろう
とその時周りの皆の誰もが思っていたように思う。
けれど、しばらくしてその電話の人と自分が妙に似ているように思えてならなかった。
他力本願、責任転嫁。イライラを安定している人間にぶつけたい気持ちは一緒だったし、、。
そしてそのあと自分は面接へと出かけ行った。

就職が決まって馴染みの中華料理屋へ行った。
そこでとりあえず就職が決まったということで祝杯をささやかながらあげた。
どうなるかはわからないけれど、とりあえずは安堵の表情を親がしていたときに
かなり心配をかけていたのかなあと他人事のように思った。
こういうことも数年前には同じ年齢の人の大半がやっていたのかなあと思うと
そっちの方が気になった。

公務員試験はもういいと思っていたけれど、教材一切を処分できなかった。
理由のひとつは時間がなかったこと、もうひとつは再度使用するかもという低い確率の可能性だった。

就職活動が上手くいった理由のひとつに自分が1月生まれ=遅生まれということが
大きかったような気がする。小学生の頃とかは生まれの季節の違いだけで同学年とはいえ
かなりの差がでていてとてもイヤだったけれど、成人を超えた今では今現在の年齢を見られることが多いので、
学年換算をあまりされないでみられたときはかなりお得だった。




年末年始を終えて2月入社をずらして1月から働くことにした。
今までの遅れを取り戻すためにかなりの努力が必要だったし、それをやる自信もあった。
今までに溜め込んでいたいろいろな思いを仕事にぶつけて絶対に形にするつもりだった。
生まれかわるんだ!そうしないと自分の思い描いた理想像には追いつけない、、。
悲愴なほどの思いつめはそれなりに自分を追い詰めていく結果にもつながっていく。

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