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2004/04/20(火) 23:34
pessimistic optimist or optimistic pessimist

朝起きたとき
仕事の途中で小休止をしたとき
夕方の地下鉄のホーム
夜の自分の部屋

心に痛みがやってきた。
振り払えない強迫観念と共に
心がずーっと曇ってしまって何を見聞きしても心が晴れなかった。

何気ないふりをして職場に行き
試験の結果を聞かれても「ダメだったみたいですー。うーん残念♪」
平静を装って何とか心のバランスを保とうとした。
幸いにも試験に落ちたことをおもしろおかしくはやしたてる人間は居なかった。

公務員試験はもう考えなかった。
ビデオ教材も過去問もテキストもうんざりだった。

とりあえず早急に就職活動をしなければ、、。

就職情報誌、ネット、職安、、本格的な就職活動を開始した。
仕事は欲しいが、ステータス、好待遇も欲しい。
甘い考えはまだ残っていて、プライドも残っていた。

〜株式会社、〜財団
履歴書ではあまり落とされなかったけれど、いざ面接をすれば採る気がないこともよくわかる。
ある会社でブランクの理由を警察受験(公務員試験)と言ったところ罵倒されたこともあった。
自分よりも年上で同じような境遇の人が受けにきていたことから発せられたものだった。
自宅の新聞での求人や広告を見れば大卒で給料が辛うじて10万円台後半なんていうのもザラだった、
が職安での零細企業にはいくつも落とされた、施設事務に応募して面接を受けても君みたいな歴のない人間はダメだね。
だったりと失敗の連続だった。
受けた中には大企業系の部署で経歴問わずの所もあったけれど、受けてる時点で面接官の落胆ぶりが手に取るようにわかることも多かった。
高学歴、資格、特技も無く1年未満のいわばアルバイト歴しかない人間に対しては
当然の扱いだったと今は思う。

駅からの帰り、バスに乗って家に向かう最中職安からもらってきた会社の求人票をぼんやり見つめながら
東京で見たホームレスを思い出していた。
「自分もああなるのかもしれない。」嫌悪していた環境に一歩ずつ近づき始めている感覚だった。

寒さも厳しくなった頃、ある会社で面接を受けることになった。
そこはほどほどに大きくなりかけのベンチャーで、会社イメージも悪くなかった
以前に落ちた会社や施設なんかといきたい度は同等ぐらいの会社だった。
面接は3人で軽い筆記試験の後面接官3人対面接者3人での面接だった。
自分以外は正職に就いている人で1人は店長職、もう1人は管理職だった。
その会社は総務事務ということだったのだが、他の2人がハキハキとした口調で
自分が今までにどれだけの成果を職場で出したとかの話をする中、
自分は警察官試験での話や今の職場でのことなんかを歯切れ悪く答えるだけだった。
そのうち何ができるか、何をしたいかの質問になって、二人は総務事務分野で思いつくことなんかを
話はじめて面接官からもしも違う部署になったらどうする?の問いにしどろもどろになったときに
自分だけが「全然構いません。何でもやります」と言った。
もう何もかもがどうでもよくなっていたし、仕事くれるのなら何でもいいやという思いもあった。
ここで足踏みをしてるよりかは何でもいいから仕事をしたい!という一念からでた言葉でもあった。

そしてそれがターニングポイントだった。

その後大学での勉強した分野や内容、PCのスキル、国内経済情勢など
自分でも考える以上に的確かつ力強く自分が他の二人を引き離すに十分なほどの
アピールすることができた。
満足だった。
それまで辛いことが多かったからいいイメージの面接ができたことで自信がついて
その会社に入れなくても次が見つかると思えてきた。

3日後、中小ながらも海外に支社を置く輸入販売の会社に出向いた。
時間があったので近くのビルの広場で暇をつぶしていると、ガラス張りのオフィスで
忙しく働く人達を見て自分もああならなくてはと気合が入った。
面接会場へ行き自分の前の順番の人が終わり、部屋へ呼ばれた。
そこでは大きな体躯の男性と仕事デキそうな女性がいてその二人とかなり近い距離で面接が始まった。
そこでの面接もまた忘れられないものになった。
まず自分の自己紹介、PRをし、その後会社説明を受けた。
自分が話す内容については時折相槌を打ちながら疑問点を聞かれたりしたものの
自分を否定することは全く言われなかった。
逆に会社のことを何でも聞いてくださいといいとても穏やかで心地よい面接と終始なった。
この会社に落ちていたとしても、自分のような人間の存在を認めてくれた人が居たというだけで
うれしかった。

こういう体験を自分は本当なら2年前にしていなくてはいけないんだということが
唯一辛かった。

いつしか心の痛みも消えていた。
ようやく自分の将来とその方策を真面目に考える自分ができてきたからかもしれない。

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