2004/04/18(日) 22:01
能力、素質、運、生き方 そして2003年のいろいろ2
学校を出て働いていて、その職場に色々な事由から
「ここを辞めて公務員になろうかな」と宣言する人間は多いと思う。
もしくは学生時代に「公務員も受けようかな」と思う人も多いでしょう。
自分はそんな人を見ると、「公務員試験を甘くみるな!」と忠告したくなります。
けれども、世の中には自分を厳しく律して目的、目標を手中に収められる人や
難関試験と言われるものを軽々とクリアできる人がいます。
適当にやったら採用された、受かる気がしなかったけど受かった等々
色々なものが複雑にからみあって大方の予想をひっくり返す事態があるから
性質が悪い。
2003年初夏の終わり
着慣れないスーツを着てバスで臨時職員として職場に向かう。
正規職員が8:30〜17:30の中自分は9:30〜4:30のスケジュール。
バスの30分は短くは無いが長くも無くただおさまりの悪い背広+革靴の組み合わせに
少々違和感を覚えていたぐらいだった。
職場では雑務、コピー、書類作成、電話応対の他に歩いていける距離の郵便局や
銀行、出先機関等に行くぐらいの事だったのだが、日が経つに連れて仕事の質や量も
徐々にではあるが増えていった。自分という存在が役に立っていることを実感できた、、
だが改めて気づいてしまった。
可哀想なマイノリティーに自分がなっていたことを、、。
その職場には自分と同じ年齢の職員が4人ほど働いていたのだが、
その4人とも担当は違うものの、職場ではある一定の範囲で自己裁量の下
文字通りバリバリと働いていた。
このとき初めてかもしれない、焦りを身を持って体験したのは、、。
ショックだった以上に自分がしでかした選択の過ちの大きさに気づいた。
得意気になって仕事をしてるときもあったからこそ、逆に周囲の人間からは
内心バカにされてるような気もした(そういう言動は一切無かったけれど)
「こいつら心の中で笑ってるんだろうな、」
「蔑まれてるんだろうな」
焦りと怒りと憎しみと後悔となんだかよくわからない精神状態の中日々過ごしていた。
席の近くの若手職員達が給料の話、ボーナスの話を他意は無くこちらにもふってきたことがあった。
一方で自分達の将来の話なんかもしてきた。
一段低い立場の人間にそういうことを話すなんてなんてデリカシーが無いんだろう?
そういうことを思う日もあった。
「ぬるい環境の中でのんびり仕事してる危機意識の無い連中め!」
そうやって逆恨みをする瞬間さえあった。
それでも自己崩壊しなかったのはまだ試験が残っていたからだった。
でもそうした最後の砦、逃げ込むべき場所が無くなってしまうことになった。
A県警察官→「自分や自分の周りを犠牲にできるか?」という問いに対して
「できます」と即答し面接官を怒らせて終了。
B県警察官→同じような質問の際に口ごもった所、「そういう態度では警察は無理」
といわれた。
どちらもそれだけが不合格の原因では無かったけれど、積極的になりたいんだという
信念や気迫が欠けていたことが原因のような気がする。
不合格の通知を受け取ったとき、警察組織の一員になれないというよりは
仕事に就けないという不安の方が大きかったぐらいだから。
そして郵政事務、清掃員等現業職員の試験も受け続けた。
特に現業職員は10代〜40代ぐらいまでの様々な人を試験会場で見かけた。
試験会場内の教室には大学受験日程のカレンダーがあり、進学校であったその高校では
難関大のところに誰がつけたのか赤印がいくつかついていた。
それを見ながら「どこで間違ったのかなあ、」
脱力感と疲労感で一杯になった。
自分は何でこんな場所に?
自分は何でこんな試験を?
どうして?どうして?
結局公務員試験と呼ばれる試験のためにお金も時間も人の数倍かけて
全く受からない結果のまま終わりを迎えた。
国T〜中卒レベルまでいろいろあったけれど、どれにも最終合格はせず、、。
自分の経歴とプライドと、、、人生に傷をつけまくった結果で終結
得たものといえば、、、、、失敗に対する耐性?慣れ?自由に浪費できた思い出?
本当にバカだ。