2004/04/03(土) 09:45
1年目の結果2

2000年
特別区 1次不合格
地元県 1次不合格
国U   1次不合格
地元市 1次不合格

特別区
試験会場は大学入試で入りたい大学のひとつだったところだった。
4年前の自分と当時の自分との対比をしながら試験会場まで歩いた記憶がある。
東京滞在中に受けた学部の一つが発表されたところでもあり、
そのとき不合格で落ち込む自分を尻目に涙を流して母親と喜んでいる女の子がいて
更にショックを受けた場所でもあった。
東京にいるときその大学の近辺は行くこともなかったのだが、
久しぶりに歩いてみたら意外と変わってなくて、驚いていた。
試験なのだが、東京にいるから受けただけであった、しかも来年は受けることも
ほぼ考えていなかったので記念受験みたいなものだった。
しかも前日の夜から起きっ放しで行ったので午後に入ると頭痛がしてきて辛かった。
結局最後の方で早めに提出して帰ったのだった。
試験問題に関しては結構問題の意味も把握できたので、教養、専門共に手を抜かずに
勉強していれば合格できそうだったかなと感じた。

地元県
本命のうちのひとつ。
けれど受けただけで終わったというものだった。
受けてる人の中に見知っている顔を捜したりしてみたけど居なかった。
教養に関しては半分ぐらい、ただ専門に関しては書いてある問題の意味がよくわからない
難解な印象を受けた。これも専門の途中で早退。

国U
東京で受ける。
これもどんなもんかなと東京にある国立大学で受ける。
サークル等の勧誘ポスターなどに著名な大学と合同でとかいうものをよく見かけた。
蒸し暑い中で朦朧としながら試験を受けた覚えがある。
教養半々、専門はどれを選んでもあまり代わり映えしないだろうなといった感じ。

地元市
本命のうちのひとつ。
↑に受けたものよりかは簡単なんだろうとタカをくくっていたら
そういうことは全くなくて、簡単な問題の少数混ざっているも全体的に難しい
といった感想。

大学4年が始まって夏休み前に全て終わってしまって
その後すぐに勉強をし始めなくていけないものを、ずるずると理由をつけては
遅らせてしまい、結局夏休み後予備校で科目毎の講座を申し込み再度予備校通いと勉強の日々の始まり。
この頃はまだ、未来への不安を考えていなかったように思う。
視野狭窄で見つめている目的しか頭の中に無かったからだろうか。

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