2004/03/26(金) 01:28
幸せの定義と回想 大3 99秋〜00春 弐

将来は何になりたい?
誰もが必ず聞かれるこの言葉、そして幼少の頃には親が刷り込みのように
「OOになりたいんだよね。」と替わって答える。
そんな画を見ることはよくあると思う。
家業など自分の職業を継いでほしいところはその職業を
自分がやっている職業が最上だと思う親はその職業を、
昔自分が果たせなかった夢を託す人はその職業を
そのときの花形をうらやむ人はその職業を
子供に言い続けたりするのではないだろうか?
自分も昔はパイロットと半強制されてた気がするけれど、そのうちに言われなくなった
また家業なども無かったので将来の選択肢を強制されることも無かった。
これは恵まれていたのかなと思う。
知っている人の中には医療系の学部、職業や、建築系、法律系や
家業を継ぐことを強制されたりしていたことからおかしくなってしまった人も
色々いたので。
しかし、他者からの強制はなくとも、自分で描いてしまった将来像からの圧迫から
逃れられなくて苦しい思いをする人もまた存在していた。
OO大学入学、俳優、歌手、モデル、画家、弁護士、会計士、建築士、、、
なりたくてもやりたくても、入りたくてもその人ができる限りの努力をしても
届かない夢。そうした夢を見限って新しい自分を探すことができない人の受ける
苦しみ。そして苦しみから逃れられる唯一の方法が「死」でしかない人。
そうした人に較べたら自分の現状なんてかなりの甘さだと感じた。
これからも受ける苦痛はあるだろうけど、「死」を安易には選択できない強さと弱さ。
この2つを持っている限り自分はまだマシなんだと言える。

99年秋からスタートさせた公務員試験の勉強中いくつかのアクシデントに
見舞われた。一つは風邪、東京に来てからこれほど長引いた風邪は初めてだった。
2つ目は皮膚病、成人アトピー?かと危惧したが原因不明の湿疹だった。
これはその後もずっと続くようになる。3つ目は家族問題、入院等々。
しかしこれらが無くても自分の1年目の不合格は揺ぎ無いものだった。
何故なら試験直前になってギブアップを既に決めていたからだった。
そのときの心情はこう
「次年度の試験は楽勝だ、だって今の勉強量と1年以上の期間があるのだから」
今思えばどうしてこんなセーフティ策もない無謀な決定を早々としてしまったのかが
分からない。しいて言えば、何種類かの試験を受けられるのだからどれかには受かるだろうと
予測していた。なんて甘い考えなんだろう。
大学生活の静穏な日々は危機意識を殺ぐには十分だったのかもしれない。

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